取材を受けて考えたこと。

先日、久しぶりに雑誌の取材を受けた。

監督業などに関しての取材では聞かれることがほぼ毎回違うが、経営者としての取材では毎回大抵同じような質問を受ける

・直近の経営動向は?

・人材採用と育成については?

・今後の事業展開は?

などなど。。。だ。

直近の経営動向はこのコロナ禍があったのでまあやはり今までとはかなり違う回答になるが、人材採用と育成については長いスパンでの計画に沿って行なっているのでそれほど回答に大差は出ない。

今度の事業展開も5年単位だと結構変わるが前回の取材が去年だったからそれほど大きく変わるものでもない。

しかしこの30年で大きく変遷してきたトピックがある。それが、

・経営哲学を教えて下さい。

哲学というからには本質があり、それほど変わるものではないようなイメージがあるが、それはあくまでイメージであって、私の場合は、変わる、のだ。

さて、ではどう変わる、のか。

以前は、自分ができることは他の人もできるはずだと思い期待して人事をしてきたがそれは間違いだったと気づいた、ということ。

もし同じことができるのであればそれら全ての人は起業している、あるいは独立していくものだから。

そこから考えていくと、経営者というのは一つの専門性を持った職業であることがわかる。

その会社を起業する、あるいは経営することはその業態や業種、業界を熟知しなければならないとの先入観があるが、それ自体が幻であるのは、昨今の大手大企業においてのCEOの変遷が物語っているのではないだろうか。

それは例えば、コカコーラの社長はその次には資生堂の社長になっている、などという例である。

飲料水業界を熟知しているのか? 加えて化粧品業界を熟知しているのか?

全くそういったことはないだろうことは明白だ。

では何か?経営者とは、そこにある資源(人、物、金)を動かして組織を拡大、あるいは高収益化していく技術を持っている者、となる。

少なくとも私にはそう見える。それがその専門性の所以だと考える、といったようなことを今回の取材では話したような気がする。

起業した頃にはそんなことは考えていなかった。それどころか本来の自分がやりたかったことをやる為に経営をしていく以外はなかった。

どういうことか。

映像を作りたかった。その為に資金を貯め、人を集め、技術を作り出しておかなければならないと思い、邁進した。自分がそれをやる為にはまず、機材が必要、機材を集める、買うために売る、さらに買うために貸す、人を集めるために仕事を作る、技術を高めるために機材を買う、資金を貯めるために資金運用をする、また集める、売る、貸す、仕事を作る、運用する、、、。それらをきちんとマネージしなければならないので適切な人事を行う、正確な経理を行う、慎重な財務を行う、細やかな総務を行う。最初は全て一人で担っていた。その後人を雇用できるようになってからは分業し始めるがまだ一つ一つの指揮を自らがとっていた。その繰り返しで数十年。気がつけば一業界のトップ企業になっていた。しかし、自分がやりたかった映像製作は殆どできていなかった、それはそうだ、経営だけをしてきたのだから。

いつの間にか映像制作のプロではなく、会社経営のプロになっていた。

つまりそれが思想の変遷だ。

経営のプロになっていたことに気づくまでの20数年間は映像のプロとして仕事についていたつもりだったからストレスも甚大だった。なぜならプロの割に納得できる本数を作れなかったのだからだ。これはきつかった。何をもって自分のプロフェッショナルなのかがわからなくなってきていた。

しかし自分のプロフェッショナリズム的視点を映像制作のプロから経営のプロに変えてからは目から鱗のように全てが明確に見えた。霧が晴れたようだった。そこからは話す内容も変わっていった。

引っ張っていく運営から導いていく経営に変わった。

命令する手法から提示する手法へ。

それはあたかも高台から声を上げ進む方向を指さした後すぐに一番先頭に行き道無き道の草を刈り石を除く手法へと変えていった。

経営者とは、、、、

全ての責任を取るために個々の決断を瞬時に且つ的確に行う者のこと。

経営とは、、、、

組織の一人一人が最高のパフォーマンスを発揮できる労働環境を整え続けること。

これもまた今後変遷していくのだろうか。いや、これはもうあまり変遷しないだろう、なぜなら私は今や経営のプロなのだから。

40にして惑わず。ー現代版解釈1『論語・為政』ー

孔子の言葉に、

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

と言うものがある。

意味としては一般的に、私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった。と言うことだが、私見では今の時代の寿命と孔子の時代の寿命では大きな隔たりがあるため、少し修正したい。

私曰く、我20代にして学に志す、40にして立つ、50にして惑わず、60にして天命を知る、70にして耳順う、80にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

どうだろうか。

10代では決して勉強が好きではなかった。必要に迫られガシガシ勉強したのは大学の時、20代に入ってからだった。その後も紆余曲折を経て本当の意味で40にして経験や勉学を通じて人として立てたように思う。その後も迷い惑い続け50が近くなりやっと迷うことなく安堵な精神状態になった。達観できるようになった。

未だ54歳であり、60は経験していないのでなんとも言い難いがきっと己の天命や使命を知るようになり70でそれを人々と共に実践できるようになるのだと思う。

そして80ともなれば水のように生きれらるのだと思う。それがこれからの人生100年時代の生き方ではないかと思う。あくまで私見だが。

なので、今迷い焦っている人たちは、大丈夫! 必ず安心できるようになる。そのために一所懸命,今を励み、迷い、学び、惑い、進んで行って欲しい。そのように過ごしていけば必ず50を越えたら安泰な心の日々がやってくる。清濁あわせて全ては良い経験になる。

滅びない産業とは

太古の昔から存在し、今なおあり続けている産業の代表格といえば、娯楽産業。いわゆる今で言うエンターテイメント産業。


意外かと思うかもしれないが、よく考えて欲しい、この産業は人間にしかわからず、しかしこれがなくなるとほぼ生きている目的や価値までも無くなってしまいかねない。

例えば、この日本に限って言っても、太古の昔、人は田植えをするにも、狩にいくにもその方策を願って歌い踊った。神という存在すらスターのような物だったと思う。

卑弥呼は踊り出政を治めた。人々はその歌や踊りに年貢を払った。寺や神社で聞く説法や神話にお供物や寄付を払った。



今のエンターテイメント産業の構造となんら変わらないではないか。

人間から娯楽をとってしまったら、どのくらいの期間生きていられるだろう。ほんの数年で自ら命を立ってしまうのは想像に容易い。

だから、この業界に従事するあらゆる人よ、心配なかれ、何代にも渡り働いていける。AIもこの領域は不得手なのだから。

何せ、楽しむのは人のみ、楽しんだ人から創造は生まれ、また人を楽しませていく。

娯楽産業、人の心に働きかける物全てをそう呼ぶ、のだと私は思う。

この業界は未来永劫なくならない。

これからの君達へ

カメラ周りを覚える、照明周りを覚える、音声周りを覚える、すると特機がどう動けばより良いのかが見えてくる。

「〜周りを覚える」、は机上の勉強だけでは全く足りない。

やはり現場で見て触って動いて見なければ本質がわからない。

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日々の失敗は本当にいい勉強になっているはずだ。次に生かしてこそ。

そしてリアルな現場をどんどん踏んでいってほしい。

メッセージの送り方を模索してきた

2019年末から今日まで続いているこのコロナ。本当に未曾有の大災害だと思う。

ここまで長く続くとこれが日常だと錯覚さえしてしまう。人とのコミニケーションも満足に取れなくなって久しいから、何かいい方法はないものかとずっと考えていた。

去年の暮れには、普段は忘年会で言葉を述べるのだがそれができないということで、ビデオを撮りそれを社内に向けて配信した。

しかしそれを毎回毎回やるわけにはいかない、でもなんらかかの方法で皆にメッセージを送り続けたい、ならばブログはどうだろうか。そんな思うから書こうと思い立った。

しかし、いかんせんタイプが苦手で長文は難しい。脚本を書く時でさえ今までは手書きで最初書き、のちにタイプするという二度手間をしてきていた。それでは、例えば毎日なんらかのメッセージを書くのは難しい。やはりそれにはタッチタピングが必須だと思った。

そのタッチタイピングで打つということがある程度できるようになってきたので、書き始めることにした。これで近々公表できるのではないかと今まさに準備をしている。

いくつか書きまとめたらブログをやっていることを公表しようと思っている。それまでは書くトピックも右往左往することだろう。

あれから2年が過ぎて、

最初で最後のブログを書いたのが2019年、2年以上前になるが、それっきりこれっきり書いていなかったわけではない。

紆余曲折はしたものの、他のブログサイトに掲載したりもした。

なぜなら、このWordPressでのサイト構築になかなか手が伸びなかったからだ。なかなか難しそうに思えたから。

それなのになぜ今か?それは、、、、、タッチタイピングができるようになったからだ。

練習した、練習した。三ヶ月か?四ヶ月か。

50をとうに過ぎて、何を思ったか、

「そうだ、タッチタイピングを覚えよう!」

となり、毎日10分程度の練習をしてみた。

これが結構難しい。当たり前だが。

しかし、もしタッチタイピングを習得できたなら、

「頭で考えていることをスラスラを文字にできる、こんないいことはないではないか。」

と思ったのだ。

実際、未だかなりの確率で間違えるが、しかし、確かに頭に浮かんだ言葉をすぐに文字にできる、この便利さは今まで味わったことがない。

ずっと、考えてはキーボードを見て打ち、また考えては打つ。を繰り返してきた。数十年も。

ある日、ふと若い世代に

「タッチタイピングは難しいができるのか?」

と問うてみたら、

「それは小学校の必須科目だったからできて当たり前ですよ。」

的は答えが返ってきて衝撃をうけた。それを境に習得しようと思ったのだ。

今もこの文章をタッチタイピングで打っている。正解率はまだ半々というところだろうか。

そしてこれを機に、ブログなるものも本格的に始めてみた。練習も兼ねて。

そんなこんなで、この複雑なサイト構築も前回のようには挫折せずに行えた、という訳だ。

さて、これからもっと正確に、速く、打てるようになればもっと面白いことが書けそうだ、とひとりごちている。

今日の格言、

「継続は力也」

「石の上にも三年」

そうだ、ブログを始めよう。

そう思って色々調べたら無料ブログサイトに出してリンク貼るよりも、自分でサーバーの中に作り出したほうが良いとの結論に至ったので作ることにした。

しかしそこからがまた大変だった。作ったはいいけどそこからさらにいろいろと初期設定しなければならないという事になった。

ただブログを書きたいだけだったのに・・・。そんなことを言っても仕方ないので設定しよう。

まず、つまずいたのがテーマ。無料テーマやら有料テーマやらある。有料テーマは1万円以上するのでこれは使い慣れてから考えればいい。ということで無料テーマを使うことにした。

いろいろ調べた結果、cocoonとやらのテーマが使い勝手がよさそうなのでそれにする。
https://wp-cocoon.com/downloads/ からダウンロード。zipファイルのまま今度は使えるようにwordpressへアップロード。うーん、かなり時間がかかる・・・。

親テーマと子テーマの療法が必要らしいので2つともアップロード。そしてなぜか子テーマだけを有効化するらしいのでポチッと。

できた!ので見てみる。 うーん。違うなあ(URLまで紹介しておいて)ただシンプルにブログだけ書きたいのになあ・・・。

違う良さそうなのを見つけたのでそちらをダウンロード。
Twenty Seventeen というテーマ。

うーん・・・でもまあ良しとしよう。これで書き始められそうなので。

(他にも色々と設定しないとならないようだけど追い追いやっていこう。なんかプラグインが競合してるとか物騒なメッセージも出てるけどとりあえず無視、と。)

というわけで、これからいろいろなテーマ(それこそテーマ)で書いていこうと思う。