さて、今日は少し映像機材について語ろうか。
私がこの業界、とりわけ、映像機材に関わってからはや三十数年がたった。その間には目まぐるしい進歩があった。ここで今、少し当時を振り返ってみたい。
一番最初の頃、まだ私が少年で、何もわからず近所を駆け回っていたそんな頃、1960年から70年、そして80年代初頭のこと、映画のカメラはパナビジョン。テレビのはNHKから池上通信。そんな時代だった。それ以外は話にもならない、とまで言われていたらしい。
特殊撮影機材も大掛かりのものだった。今のように折り畳んだり引っ込めたりなどできる代物はなく、トラックの荷台に首長竜かと思われるようにドカンと積まれたいわゆる大クレーンや中クレーンと言う馬鹿でかく重い撮影クレーンだった。時折遊びに行った日活撮影所にはそんな機材がたくさんあったと記憶している。(探してみたが流石に昔のこの頃のクレーンの写真はなかった。)
そして、しかもこれらは型から生成しなければならない正真正銘のメイドインジャパンのオリジナル。当時の三菱重工(今は昔、戦車などを作っていた会社)に製作を依頼し、1億とも2億とも言われるくらいバカ高い代金を支払っていたそうだ。
当然、ロケで使うとなるととんでも無い労力を要したろう。なので、ほとんどは撮影所のスタジオでの使用がメインとなっていたと聞いた。
アメリカとて同じようなものだったらしい。日本よりもさらに馬鹿でかいクレーンをトラックの荷台にそれこそ設置して、使う、という荒技だったらしい。今で言うカメラカーの化け物と思って差し支えないだろう。
そんな中、1980年代のヨーロッパは進んでいた。なんでだろうか。狭さは日本並み、映画ビジネスはアメリカ並み。そんな風土があったからか、とても機能的な機材を開発、販売し始めていた。
画期的だったのは、カメラで言えばアリフレックス(ドイツ)。特殊機材で言えば、パンサー(ドイツ)やイグリップメント(オランダ)。
何が画期的だったかというと、私に知る限りアリフレックスは当時は珍しい売り切り商法をとっていた。プロ向けのカメラはレンタルかリースで、買えるということはなかった時代に彼らは販売した。販売して得た資金を開発に回すことで当時のあらゆる先端技術を取り入れたカメラをリリースしていった。
パンサーやイグリップメントも同じく最新技術を導入していたがそれがけではなく、当時はなかった、いわゆる軽量化やコンパクト性を主軸にした機材をバンバン世に出していった。分解し折り畳めるクレーン、油圧に対する空気圧のコンピュータ制御のドリーなどがそれだった。
これは画期的だった。
私が業界に関わりだした1980年代後半になると、ある意味保守的な閉鎖的なアメリカハリウッドの中では、小さい、軽すぎて頼りない、など揶揄されて市場になかなか浸透していかなかった。しかし日本は違った。
飛びついた。
いや、飛びつきたかったが、いかんせん、今のようにインターネットなど一般にはまだない時代。導入するにはツテなど誰もどこにもなかった。となると、頼るのはいわゆる国内の商社ということになる。
商社から買うのは高い。今ならわかる。しかし当時はそれすらわからない。何せ現地のオリジナル価格がわからないのだから、高いのか安いのかすらわからない始末だった。
そんな時代に私は日本から遥か離れたアメリカにいた。
〜つづく